UFLについて

UFL(アーバン フットボール リーグ)は、平成3年に創立して、平成5年に江戸川区体育会に加盟し、アメリカンフットボールの普及と健全な青少年の育成をリーグの活動理念として歩んでまいりました。おかげさまをもちまして、毎年春と秋には江戸川区陸上競技場において、「アイリスボウル」、「アーバンボウル」の2つのボウルゲームと「アーバンフラッグフットボールフェスタ」を開催させていただいております。
UFLは、恵まれた試合環境を生かし、これからもアメリカンフットボールの普及拡大、更にはスポーツを通じた青少年育成に取り組んで行きたいと考えております。

連盟の歩み

アーネストボウル
連盟に所属するチーム数も設立当初は11チームであったが、アイリスボウルが開催されるようになった翌1995年には17チームに拡大し、年齢層も10代後半から40代前半と幅広くなり、選手数も約700名近くを登録するまでになった。
そこで連盟に登録している30歳以上の選手でチームを構成し、チーム名を「UFLスーパードリームス」と称して、他チームと対戦しようということとなった。そして北関東クラブチームフットボールリーグNCFLオールスターズと対戦することとなり、千葉マリンスタジアムで試合が行われた。現在は会場を江東区夢の島陸上競技場に移し、同じ連盟所属の30歳以下の選手で構成する「UFLオールスターズ」との交流戦を行っているが、将来は様々なイベント試合を行う場として検討中である。
なお、大会名をアーネストボウルと称するが、その由来は、有史より我々人間を育み様々な活動を営むことのできた母なる大地(アース)に敬意を表し、真摯(アーネスト)な態度で接し、これからもアメフトを始めとする活動を行っていこうという意味が込められている。
アゼイリアボウル
連盟に所属するチーム数も設立当初は11チームであったが、アイリスボウルが開催されるようになった翌1995年には17チームに拡大し、年齢層も10代後半から40代前半と幅広くなり、選手数も約700名近くを登録するまでになった。
そこで連盟に登録している30歳以上の選手でチームを構成し、チーム名を「UFLスーパードリームス」と称して、他チームと対戦しようということとなった。そして北関東クラブチームフットボールリーグNCFLオールスターズと対戦することとなり、千葉マリンスタジアムで試合が行われた。現在は会場を江東区夢の島陸上競技場に移し、同じ連盟所属の30歳以下の選手で構成する「UFLオールスターズ」との交流戦を行っているが、将来は様々なイベント試合を行う場として検討中である。
なお、大会名をアーネストボウルと称するが、その由来は、有史より我々人間を育み様々な活動を営むことのできた母なる大地(アース)に敬意を表し、真摯(アーネスト)な態度で接し、これからもアメフトを始めとする活動を行っていこうという意味が込められている。
アーバンボウル
連盟発足の年(1991年)の秋、発足の記念並びに区を始めとする関係機関への感謝の意を込めて、秋季リーグ戦の開催及び決勝戦に関係者を招待する企画が持ち上がった。会場は江戸川の河川敷 (現:江戸川グラウンド)に設けられたが、当初は雑草や砂利で混沌とした環境であった。(やがて占有グラウンドとして連盟が使用することとなり、3年後の1994年・春季トーナメントに合わせてゴールポストが設置された。) 大会は、区内の小岩の町内会から借りたテント1つが本部として設置された簡素なものであったが、連盟初のリーグ戦の決勝戦を開催しようと頑張ってきた関係者の熱き情熱が開花した、まさに連盟の本当の意味での出発点ともなった記念すべき大会であった。12月の木枯らしが吹きすさぶ中、故中里喜一前江戸川区長を始めとする来賓の方々をお招きし、決勝戦にふさわしい選手達の熱き戦いが繰り広げられた。 翌年(1992年)の秋季リーグ戦は江戸川区民総合体育祭・秋季区民大会の一環として開催され、決勝戦の舞台を江戸川区陸上競技場に移して行なわれ、回を増すごとにその規模・内容を拡充し、より高度な試合の展開を見せるようになった。 江戸川区は関東都市圏の真ん中に位置しながら自然環境を保護しつづけており、訪れる人々にやすらぎを与える都会のオアシスとも言うべき心の拠り所となっていることからキャッチフレーズとして「アーバンリゾート」を掲げ、区をあげて取り組んでいた。この大会が「アーバンボウル」と呼ばれるのは、その所以である。
アイリスボウル
連盟が発足して3年が経過し(1994年)、運営が軌道に乗り始めたころ、秋季リーグ戦に続いて春季もトーナメント戦を開催しようという提案がなされた。そこで秋と並んで江戸川区民総合体育祭・春季区民大会の一環として大会が開かれた。その時大会として使用された江戸川グラウンドの駐車場そばに有名な小岩菖蒲園があり、それにちなんで大会名が「アイリスボウル」と命名された。 やがてアイリスボウルはアーバンボウルと並んで江戸川区陸上競技場に舞台を移し、連盟の2大イベントとしての地位を確立していった。 この1994年という年は、連盟内の各チームが古巣のJPFF東日本を脱退し、同時に脱退したブロンコス及びローバックスが新たに連盟に加盟した年でもあった。